木造建築における構造、耐震性、耐火性、中高層化への対応など、個別技術は現時点で概ね出揃ってきた段階にあると考えています。これまでは技術開発の初期段階であり、構造や防耐火など各分野の技術者が、それぞれの領域で要素技術を蓄積してきました。しかし現在は、それら断片的な技術をいかに統合し、パッケージ、すなわち構成の体系化を進めるかというフェーズに入っています。
鉄骨造やRC造では、例えば「柱を少なくフレキシブルに」といった要望に応える標準的な構成手法がありますが、木造では依然としてそうした汎用的な構造形式や設計手法が整備されていません。今後は、設計者や企画者が初期段階から建築全体の性能や構成を見通し、技術の統合を前提に木造建築を組み上げていく設計思想が求められると認識しています。
木材の柱や梁は鉄骨やコンクリートに比べて断面が大きくなりがちですが、不思議と空間に圧迫感はなく、むしろ木が持つ温かみや質感が空間全体にやさしい印象をもたらします。木そのものが意匠として美しく、過度な仕上げを施さなくても素材の存在感だけで十分に豊かな表情が生まれるのです。豪州のインターナショナルハウスシドニーでは構造を丁寧につくることで、ほとんど仕上げがなくても十分に空間が成立していました。
また、木材は物語を内包した素材でもあります。国内外の産地や樹種ごとの特徴、そして積層材の積層面には人の手が加えられたエンジニアリングウッドの表情を見ることができます。そうした素材に込められた背景が愛でる対象となる。それが建築空間の奥行きや豊かさにつながっていくと感じています。
木造建築は、構造、耐火性能、その他の安全性能の向上により中高層化が技術的に可能となり、100メートル級の建築も実現される段階に来ています。ただし、そうした挑戦が意義深いものである一方で、それが木造建築が本来目指すべき方向なのかについては、私はやや異なる見方を持っています。
たとえば、大阪で手がけた8階建ての木造集合住宅で、工事中に上階から大阪城公園の緑を見下ろした際の印象が強く残っています。確かに8階からの眺望は爽快でしたが、階を下るごとに緑が視線の高さに近づき、次第に身近な存在として感じられるようになりました。風景を見下ろす視点から、木々と目線が交差する感覚へと変化していったのです。こうした体験から、高さを追求することが豊かさを意味するのではなく、自然との距離や関係性そのものが今後の建築において重要になるのではないかと感じるようになりました。
かつては高層建築が豊かさや先進性の象徴とされてきましたが、現代においてはその価値観も変化しつつあります。高層建築が経済的に優れているという面はもちろんありますが、それ以上に憧れの対象であることが高層化を推進する原動力になっていた時代があったと感じています。ただ、それが今後も格好いいカタチなのかは別の話です。たとえばアップルのようなIT企業はすでに超高層ではなく、低層の広がりのあるオフィスを選び、そこに成功の形を見出している。低層のキャンパスのような建築にこそ魅力を感じる価値観が確実に生まれてきています。
私自身、自宅の3階から大きなイチョウの木を眺めながら暮らしていますが、目の前に広がる緑の風景と共にある日常に建築の本質的な役割があると感じています。木造建築が木の高さを超えないスケールで風景の一部として存在すること。そこに、これからの都市や社会が共有すべき「豊かさの基準」があるのではないでしょうか。

