東急グループ慶太塾
記憶を受け継ぎ、建築を未来へつなぐ
五島慶太生家を再生した研修施設
落雷により焼損した五島慶太翁の生家を研修施設として復元。
その軌跡を関係者のインタビューを通して振り返る。
長野県青木村、五島慶太翁 生家復元プロジェクトの始動
2018年8月14日、長野県青木村の丘陵地に位置する古民家が落雷により焼損した。この建物こそ東急グループ創始者・五島慶太翁の生家であった。「村長が語った『青木村から五島慶太翁の記憶と記録が消え去ることを許してはならない』という言葉を私は今も忘れていません」。東急株式会社の但馬常務は当時を振り返りながら生家復元に対する想いを語る。
しかし復元作業には多くの困難が伴った。2022年9月に着工、翌年4月の竣工を目指す厳しい工期が設定され、東急建設はRC建築に長けた山口を所長に、木造建築のスペシャリストである竹永を副所長に任命。2トップ体制で直面するさまざまな課題と向き合った。
最初の大きな課題は石垣の再利用である。古い空積みの石垣は将来にわたる安定性に懸念があり、既存の石垣を維持するための補強が求められた。「土木部門が事前に行った詳細な調査の中で、石垣の一部が陥没していることが判明しました。根石の沈下が原因であったため、それ以上沈下させないために周囲に杭を打ち込み、RCの鉄筋コンクリートで固める作業を行いました。その上で石垣に目地を詰めるモルダム工法で面の剛性を高め、さらに水抜きを設けて水圧を受けないよう配慮しています」と山口所長は語る。さらに法的な規制を受けずに建物を復元するため、建物の荷重が石垣に直接かからないよう計画し、石垣上部の基礎は石垣から浮いた形状となっている。土木部門と建築部門が連携することで160年の趣を維持することに成功したのだ。
伏図がないという課題
160年前に建てられた建物の設計図面は存在せず、火災の4年前に東京都市大学の勝又教授が行った実測調査のデータが復元の基盤となった。勝又教授は「良い状態の時に実測できたのは幸運であった」と述べている。
しかし、生家は構造が複雑な上に増改築が繰り返されている。実測図だけでは図面を作成できないことから、東急建設は目に見えない部分の木の組み方を示す、伏図作成から設計を始めたという。設計統括の山上さんは、小屋組を再現するためにBIM技術を活用。小屋組を想像しながら一旦3Dで具体化し、検証した結果を素早く図面にフィードバック。そうした作業を地道に繰り返しながら伏図や構造計算モデルの作成を行っている。
古材の再利用という課題
古材の再利用も重要な課題の一つであった。復元プロジェクトを監修した木構造の第一人者、山辺さんは居住性を考慮して1階と2階の床には現行法に適した材料を使用し、上部構造には可能な限り古材を活用しようと計画したという。しかし古材を再利用するためには部材としての性能が担保されているかどうかを見極める必要がある。そこで東急建設は材質の堅さを示すヤング係数に着目し、縦振動ヤング係数測定を実施。3Dスキャナーを使用して曲がった梁の体積を正確に把握することで約30本の古材の安全性を確認。これらを積極的に再利用する方針が決定された。
古材の加工を担当した棟梁の岩下さんと小出さんは古材の特性に合わせた加工に苦心したという。岩下さんは「解体した柱や古材をそのまま元の場所に同じ仕口のまま落とし込むことは不可能なんです。木は動く性質があるため、その子たちを一回バラすと一本一本が独自の癖に従って曲がりたがります」と語り、小出さんも「ねじれや歪みを直す過程で生じる欠損をいかに少なくするかが課題でした」と加えた。
さらに岩下さんは墨付けの意図を共有するために10分の1スケールの軸組模型を作成した。関係者間で素早く意思疎通を図り作業時間の短縮を実現。「古材を使用する場所や、どういうところにどういう逃げスペースがあり、隠蔽で管を流せるかということが模型で検証できました。ある程度成果は出たかなと思います」と振り返る。
復元レベルの設定
4つ目の大きな課題は復元レベルの設定であった。古民家の復元プロジェクトでは当時の意匠を可能な限り再現しながら建物を新築することが求められる。しかし建物をそのまま再現すると現行の建築基準法を満たせない。東急建設は復元に影響が出ない範囲で耐力壁や筋かいを配置し、建築基準法に則った耐震性を確保した上で伝統構法による構造を計画した。山辺さんは「日本の木造の建物は差口という接合部のディティールが大工の腕の見せ所です。四方から差しても、しっかり緊結できる仕口をつくることが最も重要なんです」と語る。
さらに2階部分ではねじれた古材の芯と新材の芯を通して建物を成立させることに困難を極めたという。東急建設は伝統技術と現代技術のチームワークによってこの困難を乗り切り、伝統構法の美しさと機能を両立させたのだ。
複雑な屋根組
屋根の構造にも工夫が凝らされた。当時の茅葺き屋根と同程度の厚みを出すために屋根組は二重構造となっている。竹永副所長は「屋根構造の中で扠首(さす)梁という斜めの梁がありまして、その上にプラス1mのお神輿を上げるように屋中という二重屋根を組みました。その屋中を斜めの扠首梁の上に持ち上げる作業が困難を極めました」と技術的な詳細を説明する。
さらに竹永副所長は図面通りの屋根組みではその複雑さから施工期間に問題が生じると予測し、屋根をパネルで覆うことにより工期短縮を図ろうと考えた。屋根のパネル化と材料の適正化を図ったことにより約700㎏の軽量化を実現し、工期を3週間短縮している。
プロジェクトを振り返って
関係者が一丸となり、目標に向かって勇往邁進した結果、2023年4月18日、慶太翁の誕生日に合わせて生家復元プロジェクトは無事に竣工を迎えた。竣工式には青木村の北村村長をはじめ、多くの関係者が参列しプロジェクトの成功を祝った。
但馬常務は「天の配剤といいますけれど、その瞬間に立ち会ったすべての方々がその使命を持っていたということだと思います」と語りプロジェクトの意義を強調した。
勝又教授は「このプロジェクトは東急建設の設計施工だからこそ成功できたと思います。設計の意図が施工に伝わり、施工の課題を設計に検討してもらう。設計と施工が一体となった密なコミュニケーションがなければ、これほどのスムーズな進行はあり得なかったでしょう」と設計施工一体の重要性を語った。
岩下さんは「チームとしての結晶という想いがあります。多くの課題が重なりながらも、それを乗り越える出逢いの中で最終的に慶太翁の生家が元のこの位置に戻ってこれたのかなという気がしています」とその達成感を共有し、山口所長も「岩下さんを中心としたチームが出来上がっており、その中で彼らが得意な部分と、我々が得意な部分をお互いに活かし合うことができました」と加えた。竹永副所長も「通常は外側からつくられる建物が今回は大工さんを中心に内側からつくっていった。人の輪がつくった建物だと思います」と絆の深さを語る。この言葉には共同作業による成果の喜び以上に訪れる人々にとっての学びと触発の場になってほしいという願いが込められている。
