大船渡市立越喜来小学校
復興の象徴となる木造校舎
地域と未来をつなぐ学びの場
東日本大震災による津波で校舎を失った大船渡市立越喜来小学校。
復興の象徴として、地域の防災拠点として建設された新校舎について設計者に伺った。
越喜来小学校の児童を救った避難ブリッジの遺志を次ぐ建築
海岸からわずか200mの低地にあった越喜来小学校は、2011年3月に発生した東日本大震災の津波で3階建て校舎が全壊した。幸いにも児童や職員が全員、無事に避難できたのは、ひとりの市議の熱心な働きかけによるものだ。
同校は、明治三陸津波(1896年)で校舎が全壊、昭和三陸津波(1933年)でも浸水する被害を受けていた。前述の市議は、いずれ来る大震災を危惧し、市議会に対して校舎2階から直接高台へ避難できるブリッジの設置を再三にわたり訴え、震災直前の2010年12月に実現させていた。本人が震災の9日前に亡くなったこともあり、「市議の遺言が児童を救う」と、当時多くのメディアに取り上げられた。新校舎は、市議の遺志を引き継ぎ、「震災復興のシンボルとなる大きな屋根のかかるみんなの家」をコンセプトに計画されている。
見通しの利く、開放的でパースペクティブな空間構成
用途ごとに建物を建てるのではなく、様々な機能を入れ地域に開放する。そんな設計者の思想が新校舎のゾーニングに現れている。平面計画では、普通教室や特別教室といった学校機能としてしか使えない空間が南北に振り分けられ、その上でこれらのゾーンに挟まれた中央の直線上のゾーンに多目的スペースや多目的ホール、メディアセンター、中庭などの柔らかい多機能空間が配置されている。これらの空間が校舎の中心軸となるように、1階の廊下まわりのガラス壁と大きな吹抜けで空間を開放。その中に木造架構をリズミカルに配し、見通しのよいパースペクティブな空間を構成している。家族単位の家がある一方で、地域の人たちを家族として捉えた家でもある。このオープンで透明感のある空間には、町内会や集落全体を家族と捉えた設計者の想いが凝縮されている。
コストバランスに配慮された並木路のような木造架構
校舎の構造は混構造。1階のすべてと2階の外周部がRC造、2階の内部柱梁と小屋組みが木造だ。木造架構には、地場産材を切り出した特注の大断面集成材が使用され、ハイサイドライトから落ちる光が、陽光の降り注ぐ並木路のような趣を際立たせている。木促法が施行されて間もない当時の特注木材は高価だった。この木造架構は、外のような空間を木で表現したい意匠サイドと、構造サイドの考え方を摺り合わせた結果、このカタチに落ち着いたようだ。混構造であることから建築全体の木材使用量はそれほど多くない。設計者は、コストバランスを鑑みながら、ひと目見た瞬間に誰もが温かみのある空間を感じられるよう、木造・木質化するポイントを絞り混んだという。
「木造架構に包まれた多目的スペースは、休み時間に子どもたちが走り回り、先生方の創意工夫を凝らした授業で使うことを想定していました。ここで授業を行うと子どもたちが喜ぶと伺っています。人が生きていくうえで家はとても大切な場所です。家の雰囲気を大切にすることで空間に親しみが生まれ、人間形成にも役立つと信じたいですね」と五十嵐さんは自ら設計した建築に想いを馳せる。
※ソーシャルディスタンスを確保してインタビューしています。
